大丈夫?子供たち
今朝の読売新聞にそんな文字が大きく書かれていました。
記事を読むと顔から転んだり、徒競走でまっすぐ走れない子がいるという内容でした。
確かに先日ある地域の連合陸上でも何人かの子が隣のレーンに入り失格になっていました。
学校の代表として大会に出ている子でも隣のレーンに入ってしまうということは、学校の中にはそのような子がもっとたくさんいるということでしょう。
外で遊ぶことが少なくなってしまったことが原因と考えられているようですが、それは大人の責任も大きいですよね。
まだまだ学歴社会なのでしょうが、もう少し子供たちに本当の意味で生きる力をつけるべきではないかと私は思います。
ある自治体では自家用車で送ってもらう子が半数近くいるため、対策として途中からでも歩くように呼びかけたり、スクールバスを1km手前で止めてそこから生徒を歩かせるようにしているらしいのです。
変な話ですね・・・。
それを読み思い出したことがありました。
陸上部の中学生が上柚木や多摩の競技場へ行くのに駅からバスやタクシーを使うのが当たり前らしいのです。
私はその話を聞いた時にそれで陸上競技者だろうか?と耳を疑いました。
本人たちの言い分としては『道がわからない』とか『大会前に疲れる』ということらしいのですが、そんなことで疲れるような選手ならばそもそも勝負で勝てるわけがないし、道は事前に調べればわかるはずです。
インターネットで普段は何でも調べるのに競技場に行く道は調べないなんて単なる甘えですよね。
まさにぬるま湯で育ったひ弱な子供たちだと思いました。
便利になった今の社会は楽をしようと思えばいくらでも楽ができますが、子供の頃から楽なことばかりして将来どんな大人に育つのでしょうか?私は心配です。
話は少々それますが大人になって『あれは若いときだったからできたなぁ!』なんて思い出ありませんか?
私は15歳の時にボロボロの自転車を二日間かけてオーバーホールし13時間かけて山梨まで行きました。
途中でパンクを直したり、急な下り坂で転倒して数十メートル転げ落ちたりと傷だらけでかなりドタバタな旅でしたが、夜中の1時に目的地に着いた時は達成感がありました。
また18歳の時は町田駅で終電になり、距離感がわからず調布まで歩いて帰ろうと思ったのですが、方向を間違えたせいで狛江駅付近まで来た時に始発の電車が走っていたなんてこともありました。
この2つは極端な例かもしれませんが、子供のころは新宿や東京湾などどこでも自転車で行くのがみんな当たり前でしたね。
社会が便利なることはとても良いことです。
しかし便利になればなるほど物事を選択する能力と、自分に対する厳しさが必要になると思います。
大丈夫?子供たち
大丈夫?将来